刻雲録

言霊の幸う国で、言葉が見せる風景を感じる

コロナ禍

書こうと思い続けて後回しにしてきた題材を、そろそろ殴り書いてみようと思う。


なぜ後回しにしてきたか。

私の顕著な性格に後回し癖があることとは別に、コロナ禍に関して感情的にならざるを得ない心境が常に私を内から煽るため、理性的な文章にならないことを危惧したためでもある。


結論を言えば、コロナ禍は人災である。


そもそもウイルスは国内流入すら防げた。

中国、武漢で感染力の高いウイルスが発生したとの情報は、日本国内で感染が見つかる1~2カ月前から世界発信されていた。

ただ、時期的に中国では春節を迎え、中国富裕層恒例の期限付き民族大移動は待ったなしで世界を駆け巡り、その経済力を当てにする各国は過去のパンデミックを忘却の彼方へ追いやることでチャイナマネーを甘受した。

そして新型コロナウイルスは、アジア系への差別と共に世界へ瞬く間に広まった。


日本に限ればオリンピックを年内に控えていたこともあり、外国人の受け入れ制限などしようものならせっかくのオリンピックマネーに何かしらのケチがつけられかねないとの憶測から、島国であることのメリットを何も活かさず感染を容易に受け入れた。


さらには変異株なる感染力が従来より強いものがインドなどで見つかり、まだ国内で発見されていなかった頃、ここで完全に外国人の受け入れを止めておけばよかったものを菅総理はビジネスマンに限り入国を許可すると明言した。

私は耳を疑った。

ここにきてまだそんな世迷い言を平然と言えるのか、と。

そして案の定、インド株は徹底的に水面下で取り押さえると嘯いた政府の股下をすり抜け、現在絶賛拡大中である。

明らかな人災ではないか。

なぜ菅総理は責任をとらないのか。
そもそもこの件について責任追及の世論が弱すぎるのもおかしい。

これら無責任体質は安倍前首相からの悪癖であるが、それを見逃す国民側にもまた無責任は蔓延しており、そのために責任というものへの感覚が鈍くなっているのかもしれない。


ここまでが第一の失態、文字通り水際での感染者の対処である。

単純な話、島国ならば海外から来日する人の流れを止めてやればよいのだ。

帰国する日本人や日本国籍所有者など特例の範囲を絞って認め、且つ徹底した検査と隔離を経て入国を許可するような仕組みはできたはずである(実際に行っていたザルの如き水際対策は論外である)。

これはできなかったのではなく、しなかったのだ。

日本の政治家と大企業との癒着はもっと問題にすべきである。

一面ではコロナ禍初期において外国人らが来日できなくなると営利的に困る資本家たちと彼らにおんぶにだっこの政治家が、後先を見通すこともできない幼稚な脳みそで目先の利益に走り、大胆な入国制限をしなかったものと見る。

観光業協会の会長でもある自民党、二階幹事長という怪物は自身のためにコロナ禍においてGotoトラベルの旗振りをした。このような輩が幹事長を努める政党だ、国民の命など大して考えてはいない。自身の政治生命を長持ちさせるために、あるいは票田と献金の獲得のために、いかに社会的影響力のある団体、組織、企業を自分の背後に据え置けるか、奴らの活動はそのためにあるといっても過言ではない。


第二は不要不急、無為無策の緊急事態宣言である。

宣言自体は時と場合を弁えれば非常に効果的だが、ただ自粛を要請するだけで金銭的援助はほんの10万円給付一回のみだ。そして以後は馬鹿の一つ覚え、現金給付なし自粛要請の乱れうちに終始している。

繰り返せば繰り返すほど、物事は楽な形に変容していく。

薬は服用を繰り返せば効かなくなる。
これは体が慣れてしまうためである。

難しい作業も繰り返せば上手くなり、楽にこなせるようになる。

そして緊急事態宣言を何度も繰り返せば一回目の宣言発令時のような緊張感は薄れ、強制力のない自粛要請を出し続けるのみでは人々はその異常に慣れてしまい、新たな日常となってしまう。


私であれば感染拡大が見られた2020年4月、国民がまだウイルスに対して得体の知れぬ危機感を抱いているうちに1ヶ月間の宣言を出し、外には前述したような国内移入者の入国制限、内には外出自粛と経済活動の全面停止(この時点では国民もコロナ禍慣れしていないため自粛要請でも効果があったと認識しており、さらに後述の政策がコロナ禍への国民意識の後押しをしてくれる)、ただし公務や食、交通などライフライン確保のための業務、そして医療などの最低限必要であろう業種の選別と従事者の感染予防の徹底、さらにウイルスの矢面に晒される業務柄、国から特別手当てなどを拡充させる。
そして国民には1人30~40万円を特別給付し、1ヶ月の間は仕事をせずとも暮らしていける経済的下地を国が作ってみせる。

言わば国民の生活を確実に成り立たせた上での国内ロックダウンである。

給付金の財源など実はいくらでもある。
数ある中の一例だけあげるが、無用で不要のアベノマスクに何百億円を簡単に払ってのけるのだ、誰にも忘れたとは言わせない。
ちなみに私は遂にそのマスクを手に取ることも目にすることもなかった。

それに日本はドルでもユーロでもなく、独自通貨の円だ。

金がなければ国民が必要な分だけ刷ればいい。

そして差し迫った国難下ではまず衣食住を整える。そのためには自国の一次産業が国を養えるほどの活動規模でなければならない。

我が国の現状は全くそうではない。食糧自給率が40%以下なのはありえないことだ。外国から残りの分をいただけなくなったらどうするつもりなのか、この国の民に聞いて回らねばならないが、その上で食糧の1/3が廃棄されている事実も鑑みると、日本は上も下も思考力と想像力に欠けた愚かな民族と思われて然るべきである。

また数字的には経済力で日本に劣る国々が、40万円ほどの給付金を何度か出している。
だが麻生大臣などは給付金が貯金に回っては意味がないと意味不明な発言をしている。一体どこに視線を向けた発言なのか。高所得者ならそうであろうが、給付金を課税対象にして確定申告の際に回収すればいいし、経済的弱者にとっては結果貯金したとしても、それは明日以降を生きるために必要なことではないか。

経済弱者の目線に立てるような余裕もゆとりもなく何が経済大国か、馬鹿馬鹿しい。


それに経済が回らなくなることを危惧する意見があるが、長期的に見れば現状のように感染者数も減らず、飲食店などに無意味な時短要請をだらだらと繰り返し徒に民衆の暮らしを圧迫するより1月だけ社会全体で我慢をした後、段階的に経済を回していく方がリバウンドも少なく社会の回復も早く済み、結果的に傷が浅くすむ筈である。

そしてだらだらとであっても経済活動したいのは概して大企業側の言い分でもある。

営利の質を海外に頼る傾向の大きい昨今の企業は見返りが大きい分、1分の操業停止が数億円の損失に繋がることもあるのだ。
ゆえに短期的且つ短絡的な経済活動が必然となってしまうのは、肥大しすぎた組織の維持が大変なこと、あるいはグローバリズム脆弱性を暗に示す重要なメッセージのようにも思える。


第三はオリンピックの呪縛である。

これさえなければさすがの無能政府でももう少し頼り甲斐があったかもしれない、と毛一本分くらいは思わなくもない。

ただそのオリンピックも国が誘致した。

安倍前首相の「原発事故はアンダーコントロールしている」との謎の言い回しで大嘘をぶちかまし、手に入れた五輪利権。

よくよく考えてみてほしい、どれほどの魑魅魍魎たちがその利権に貪りついているのかを。

その数と組織の規模がそのまま自民党の権力の大きさとして表れていると思っても差し支えないだろう。


コロナ禍以降、政府が蜜月の民間企業に対し、さながら火事場泥棒の如く社会情勢を出汁に使い利益を流していた事実が湯水のように沸いて上がった。

現実的には「事実」ではなく「疑惑」ということになっているのだろうが、そもそもモリカケ問題から桜を見る会公文書偽造など本来であれば疑惑であろうがそんな懸念が出る時点で権威の失墜しかねない事件が有耶無耶にされたままなのは、改めて日本の低俗さを窺い知る思いだ。

そのような疑惑をも有耶無耶にする力は、やはり政権に纏わりつく魑魅魍魎たちによるものなのだろう。

権力という言葉は仮ものの力という意味なので、その通り国や政党の力ではなく、魑魅魍魎たちから与えられた力である。


そのような国の背後が欲する限り、決してオリンピックを手放すような真似はしない。



しかし世の中は確かに複雑なのだが、その縦構造自体は実に単純であり、どの世界にも見られるただのパワーバランスでしかなく、俗にあっては個人も組織も何かしらの力を誇示し弱者を威圧する小物ばかりで辟易とする。