刻雲録

言霊の幸う国で、言葉が見せる風景を感じる

社会的弱者から考える存在と意識 ~その1~

社会的弱者とは我々がその存在を定義付け、意識し始めたときに生まれた者たちなのかもしれないと、歴史を辿るうちに思うことがある。

双方に弱者との刷り込みがなければ分け隔てなく社会と接することができたであろう人々が、福祉全盛の現代にも一定数いる。

明治時代、渋沢栄一がヨーロッパから持ち込んだ「福祉」の概念は、不本意ながら社会的弱者という「枠」を敢えて浮き彫りにし、より身近な地域ではなく国が扱うべき存在にしたことで社会から拒絶、隔離を容易にしたことはその大義名分に隠れて見にくい事実である。

ハンセン病に対する過度な偏見も、それが起因となっていたのかもしれない。



医療を含め近代以降の国家的福祉の実践を否定するつもりはない。

現代においても弱者の自立を助ける活動は、支援者の熱意をもって確かな成果を積み上げている。

だが各地の小さな共同体に綻びを生じさせた大きな運動のひとつであったことは否めず、世間から弾かれてしまった人々が本当に弾かれる必要があったのか、それを検証する機運に乏しいのは都合の悪いことを遠ざける日本の長患いであるけれども、我々民衆までその国家的体質に染まる必要は全くない。


去年、兵庫県の施設で精神病患者に対する職員の集団的ないじめ、虐待の実態が発覚した。

物言えぬ無抵抗の患者をいたぶる「伝統」を後輩も容易に真似した。

なぜ容易に伝統を受け入れたのか、それは仕事のストレスがあったからだという。

ここで「ストレスなんてどの職場にもある」と簡単に言ってしまう人は多少想像力に欠けているかもしれない。

問題を個人の資質にすり替えないことを前提に、ひとつの考察材料を投じてみよう。


「物に当たる」経験をしたことがある人間はそれなりにいると思うが、その対象物は身近なものが選ばれやすい。

手にしてるものがあればそれを投げつけ、なければ手っ取り早く目に入ったものでうさを晴らす。

では今回のように業務内容のほとんどが人間相手の場合、物ではなく人が選ばれがちなのである。

それは物と異なり有機的な反応が帰ってくるためであり、よって動物全般が対象となりうる。

食器を壁に投げつけても割れて後片付けの面倒が生じるだけでつまらないが、生き物はリアクションがあるからおもしろい。

私がおもしろいと思っているわけではなく、外部の目が届きにくい閉鎖的な空間では、普段では抑圧下に置かれた猟奇的で攻撃的、つまり本能的な性がストレスなどを契機に弾けやすく、また癖になりやすい。

要するに、日常で感じ得ない背徳感に興奮しているわけである。

この理論によれば、虐待は浮気や不倫と同質ということになりうる。

ゆえにいじめ完全否定派の中に浮気の経験がある方には、お前にいじめを否定する資格はないと言わざるを得なくなるが、普通の人間はそれなりに浮気をするようだし、また資格や経歴うんぬんで意見すら言えなくなるのはおかしいので言わない。



人はこの世界に対し、自分に都合のよい反応を求めている。

それがまさしく「文明」である。

自分の頑張りには相応の見返りが欲しいし、その一生には意味があると思いたいのだ。

さらに洞察するならば、ある有機的存在に対し反応を求める行為は、深層意識的には自分との繋がりを確認する作業でもあるのではないか。

自分という存在を世界はどう捉えているのか、あるいは自分は本当に存在しているのか、それを知るために反応を探るのである。

好きな子にほどちょっかいをかけたがるのもそういうことであろう。その子の世界にちゃんと自分がいるのか知りたいのだ。

そしてどうだ、無視されるのが一番辛くないだろうか。

反応が帰ってこないということは即ち反応を確かめる行為の否定であり、深刻に捉えれば存在そのものを否定されているとも考えられる。


皮肉なことに虐待やいじめとは繋がり合うための行為で、殴り蔑み罵りながらも「無視しないで」と情けなく懇願しているのだ。

これではどちらが「弱者」なのかわかったものではない。



稿が長くなるため、続きは改める。

次は歴史的に社会的弱者をどう扱ってきたか、ということを考えていきたい。