刻雲録

言霊の幸う国で、言葉が見せる風景を感じる

青森紀行

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私が自分のいいと思える唯一の性質は、年柄もなくいつでも花鳥風月にはしゃぎ回るところである。

人間界ではそうないが、自然界においてはよく鳥肌を伴う感動を覚える、そんな自分だけは愛しく思えるのだ。


一方で嫌いなところは掃いて捨てるほどあるが、ひとまず挙げておくべきはブログがまともに書けないことだろうか。




私は以前何と書いた。




旅の共有どころか相変わらず考察ばかりで、このままでは稀有な読者が離れてしまいかねない。




当ブログ開設以来の危機か。





ところで私は青森県下北半島を巡った。

函館からフェリーに乗り、鮪の有名な大間まで2時間ほどであったか。

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船旅は実によい。

先程まで立っていたはずの土地がゆっくり遠ざかっていく。

思い出とは置いてゆくものだが、土地との別れを惜しみながらそれをゆっくりと手放すゆとりが船にはある。



山々も離れていく。

北海道は本州以南ほど針葉樹の人工林が多くない。

そのため山が丸みを帯び、色も広葉樹の濃すぎない緑で落ち着く。

北海道の人々がやけに優しいのはそのせいかもしれない。

仏教に言う「身土不二」のように、土地の環境が人間形成の最たる要訣であることは言うまでもない。

そして土地に沿って言葉は生まれ、その自然環境は言葉の性格として反映されていると私は考える。

だがいみじくもその性格は暮らしや環境の変化としばしば共鳴し合い、言語の部分的な喪失や創造を経て変質しうる不確かなものであることは現代人の言語感覚や性格からも窺える。

今は日本全体的に刺々しい針葉樹の人工林に囲まれていると言えるが、それを心まで刺々しくさせている要因と考えるのは飛躍甚だしく思われるだろうか。

また針葉樹は深くまで根を張らず、何より成長が非常に早い。

それが実利のない他者との繋がりを蔑ろにし、長期的な展望を持てず目先の損得で一喜一憂する短気で短絡的な社会を作り出してないかと考えるのは空論だろうか。


そうではない、それらは近からずも遠からずなのだ。


大事なのは正解を出すことではなく、物事の繋がりを肯定かつ前提におき、想像しうる可能性を360度から捉える姿勢である。





大間からバスでむつ市に入り、乗り換えて恐山を目指す。

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私が山に行くときは下で晴れていようが天気が悪くなるのであるが、この恐山には晴れる日が来ないのかと思うほど曇天が恐ろしく似合ってしまう。


この静けさを、幾万人がこの世の境目と見紛うたことか。


風車のカラカラと回る音が霊界の呼び声を想起させる。


境内に温泉があるのだが、脱衣場と浴室がほぼ一緒になったような簡素な建屋内の少し黄味がかった湯を垢離のつもりで浸かった。

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地獄を歩いた先には極楽浜が現れる。

宇曽利山湖という。

地獄の臭気を放つ山と極楽を思わせるほど澄みきった湖、この対称的な二対が人為的でないのだから恐れ入る他ない。


観光地化されても祈りの火は消えず、観光客に紛れて菩提を弔う人の想いも時を越えていくことだろう。


その想いを昇華させうる存在たるイタコには会えなかった。

実はイタコと恐山は相関関係上にない。

曹洞宗が管理する恐山菩提寺例大祭にイタコが出張する程度のものだ。


そのイタコも現在6名ほどで、存続が危ぶまれている。

昔は麻疹の流行などで失明する子供が多く、それでも将来食い扶持を得られるようにと、親が子を連れイタコの元で修行をさせた。

新潟の盲目芸者「瞽女」を彷彿とさせる。


儀式における護摩焚きの煙で目を痛めるから失明したと聞いたこともあるが、それにしても社会的弱者を受け入れる余地を社会全体が有していた事実が全国に点在していることに注目したい。

また稿を改めねばならないが、明治以降の渋沢栄一がヨーロッパから持ち込んだ「福祉」の概念は、不本意ながら社会的弱者という「枠」を敢えて浮き彫りにしたという私見を馬耳東風としないでいただきたい。





商売と割りきった風のイタコも多いようだが、それを不思議がるのは現代的な感覚であろう。

それでも盲目という不利が、五感を超越した感覚へと昇華するに資したことは確かで、音や空気などを媒介に触れもせず質感や体温まで感知するような繊細さは中国武術における「聴勁」とも合い通じる。


とはいえ故人の「降霊」を誠に思わせるほどの術である。

その術者が女性であることの意味についても触れておきたい。


農耕文明以降、この国は比売(ヒメ、女)が神の声を聞き、彦(ヒコ、男)が政治を執った。

以後、神道においては男権的傾向が強くなるまで巫女が神託を受ける中心的立場を担ってきた。


なぜ女性なのか。


天岩戸伝説にて隠れた天照大御神を、八百万の神々に託され舞を舞った天鈿女命が見事引き出した神話を巫女の起源としているが、「憑依」能力にこそ巫女の女性である必然性があるのではないかと思う。

神をその身に宿す、とはすなわち懐妊のことである。

7つまでの子どもは「神の子」であり、人間界と切り離して育てる習俗もあったという。


その身に神を宿し、神聖な存在だった女はその後社会の中心的立場を男性に明け渡した。

それは狭い国土で稲作の適地を奪い取るために、あるいは守るために男の腕力を絶対的に必要としたためであり、成果をあげる度に地位も向上していったのではないか。

平安時代における武士の台頭と同じ理屈である。

特に仏教伝来以降は、その求道の対象を男に限定する向きが強く、悟りの境地は男にしか望めないとの偏見から、例えば女性の月のものを「穢れ」とみなし、その不浄の身を理由に神聖な山への立ち入りを禁じたりと男尊女卑はいよいよ盛んになる。



イタコはまさに憑依の巫女である。

単純に女性ならではの繊細さがなければ死に苦しむ人々の気持ちを汲み取ってやることはできなかっただろう。


出会うことのなかったイタコにあれやこれやと想いを巡らし、この死者の集まる地を後にした。