刻雲録

言霊の幸う国で、言葉が見せる風景を感じる

①心身を内観する

我々は自分の体を自在に動かしているように思い込んでいるが、実際には単純な動作ですら思い通りにできていないことが多々ある。

両腕を真横に水平になるまで上げてと言われ、水平を出せる人は意外と多くない。

しかしここで肝心なのはできないことではなく、できない自分を理解していたか、ということである。

同様に、例えば片足立ちの状態から反対の足を水平に上げてと言われ、体が固ければそもそも足が上がらないことやふらつくことは予測がつくだろうが、ぶるぶる震える足のどの部位が震えているのか、あるいはどちらの方向に倒れそうになるのか、その理由として体の硬直、上半身のふらつき、足裏の感覚など、少しでも思い当たるふしを見出だせるか。

超文明社会の中で本来の身体感覚が埋没してしまった多くの人々は、往々にして「自己の内観」という過程を経なければ感覚を取り戻すことは困難である。



これから数稿に渡り、「自己の内観」について書く。

身体操作という稿の目的をなるべく逸脱せぬよう気を付けながら、古今東西、特に東洋で教化されたあらゆる思想、行法の到達点への線上において本来必ずついて回る「自己の内観」を様々な角度から述べてみよう。


重ねて申し上げるが、関係無さそうに思えても体を意のままに動かすという話に繋がる内容であることを承知の上でご覧いただきたい。