刻雲録

言霊の幸う国で、言葉が見せる風景を感じる

②自己を内観する ~歩~

歩くことは思考の源であり、また思想そのものであるという思いのもと、絶えず歩き続けてきた。

足の感覚にも着目し、漫然と歩くのを嫌い、どこで何をどのように踏んでいるのか足で気付くことを狙って底の薄い履き物を選んだり自作もした。

果てはアスファルトに覆われてしまった大地の記憶、先人の足跡さえ足裏で読み取ろうとした。


それらの行いは無駄ではなかったが、歩くことに囚われ「芯」を捉える意識が疎かになっていた。


この頃その芯を捉え始めてきたのではないかと自惚れている。


その要因はやはり「ゆとり」という言葉に収斂されてしまう(あえてゆとりという言葉を用いているが、また機会があればその理由も述べたい)。



今まではただとにかく歩いていればよい、とまでふざけてはいなかったが、しかし単純な手段と化していた事実は否めない。

それが最近、「ゆっくりと歩く」ことができるようになったのだ。


これは全く簡単なことではない。


太極拳のゆったりとした動作をその特徴とする見方は世間の多勢を占めるが、ゆったりする所以を正確に知る者はほぼいない。

あれは呼吸によって身体を導いているのだ。

だが呼吸の要求に耳を傾けることがいかに現代人にとって難しいか、歩くことの難しさと全く同じである。


極めて社会的な忙しさや焦り、またそれらが習慣化することで定着する性格など、自然界における「不純物」をたっぷり抱え込んだ人間の自我が、芯を捉えて歩くことや呼吸で導く身体操作を困難にさせていく。

私がまさにそうであった。

武術もヨガもそれら不純物を取り除くための行法といって過言ではないが、中医学において人体の構成要素は「気、血、水」とされ、呼吸を体の隅々に通すことは血も水も行き渡らせることに繋がる。

すると体が大地と明確に繋がり始め、武術はその繋がりを利用し少ない力で大きなものを動かす、これを「四両八千斤」という。



武術を引き合いにしてみたが、却ってわかりにくくなっていないか。



芯を捉える、呼吸で導く、これらはいずれも「自己を内観する」ことの同義である。



歩きについて見ていく。



毎度引き合いに出して申し訳ないが、現代人は今や男だけでなく女までもが「がに股」である。

それは底が厚く弾力の効いた靴が要因で、また靴先のほとんどが反り上がっていることから足指が活かされない。

硬いアスファルトでも砂利道でも痛くも痒くもない靴が当たり前、転じて自分の意識がどこに向いているのか気付かせる余地もない、そんな漫然とした歩行事情ががに股歩きを加速させる。


内面的な事情で言えば、男はいつの時代もそうであったように見栄を張りたがり他者から与えられる地位や名誉に踊らされるなど意識が外にばかり向けられ、膝が外に向くがに股という身体操作に表れる。

女性は男と違い外界に対する自制心があり、また往時にあっては時代の要求でもあった「恥の文化」の担い手として毅然としていた。

余談だが人間の理性的規範の結晶たる武士道は女性の中で完成を見たと私は強く思っている。

例えば恥を晒すくらいなら死を選ぶその覚悟は多分に男より強かったであろう。

その激烈たる意識を相互の尊重や家庭の安寧など内側に向け、自身の大仕事にかまけて粗相を犯す男たちを自らの姿勢をもって窘め、また支えた。

こと貞操観念においては恥の文化が相当に染み付いており、その着脱の容易ならざる和装を見てわかるように、素肌は気安く見せるものではなかった。

その封建的な自制意識が却って性への深い関心と想像を育んでしまったことは江戸時代の流行本や好色本(井原西鶴の『好色一代男』などは現代的に甚だ突飛な内容だが、それも当時の社会を生き抜くための娯楽であった)などからも窺い知れるが、いずれにせよ女性の内側に注ぐ意識の表れとして「内股」なる身体表現が形成された。

つまり時と場合によって外聞への意識を使い分ける聡明さがあった女性が、現代では多くが自分をいつでもよりよく見られることを望み、その自己顕示欲の塊を常に世間へ晒すことに臆面がない。

その結果のひとつとして、がに股とホットパンツの組み合わせが特に象徴的と思うのは、肌を過度に露出させるなど意識が外側に向きすぎた結果、自身としては承認欲求を満たしうるかわいい格好をしているつもりが、実際にはがに股歩きという不格好に陥ってしまい、さらに素肌ゆえにがに股がより際立ってしまっているところであり、またそれに気付いていないのも多少哀れに思う。

とはいえ元来馬鹿な生き物たる男どもは、がに股とかそんなことはどうでもよく性の対象たる女性へのさらなる欲情を掻き立てんがために喜んでその「素肌のみ」をありがたがり、また残念ながら私にもそのような癖はある。

あるいは女性はそういう男の浅ましさを利用し自身の欲求を満たしているのかもしれないと考えるとやはり女性は利口なのだが、しかしながら内観するという「賢さ」はとうに捨ててしまったようだ。




さて、では歩くことにおける内観とはどういうことか。


歩きに限ったことではないが、我々の骨や関節、筋肉は動作ごとに求める動きの方向が存在する。

つまり方向をありのままに見定め、人体の構造を感覚で理解することを内観すると私は表現しており、負荷の少ない自然な動作を体現することである。

それはあたかも流れ落ちる川の水が作為なく地形に沿って進み、時には高低差をもって岩を砕き、また深く水を湛えて山を削るような流麗さ、しかし川はいかなる状態でも絶えずして流れている。

自然界というのはそのように無駄も無理もない力が働いており、それをこの体で表現するというだけのことである。


だが現実的に歩くという人間の基本的かつ初歩的な動作においてさえ過剰な「力み」が生じている。


我々は社会の中で「不自然の学習」を経て無駄なき自然動作を無意識のうちに否定し、人体の構造を平面的な解釈で完了させ、本質的に理解することを一部の変わり者のみの「奇行」とした。


不自然な学習の代表例はラジオ体操であろう。

その機械的な動作には体の各部位を「伸ばす」という発想が強いが、実は伸ばすのではなく「緩める」ことが何より大事なのである。

あくまで機械的に筋肉や筋を伸ばそうとすれば「伸長反射」という体の防衛反応が起こり、余計に体を固めてしまう。

伸ばすような動作の中にも緩める意識を注ぎ込むことが内観することに繋がり、それは「呼吸」が体に及ぼす作用を実感することである。


前述の通り現代人は外に意識が向きやすく、爪先が外旋したまま歩くので足の外側の筋肉が凝り固まり、さらに悪循環に陥る。

それを足裏から「根を張る」感覚で内も外もない中性なところで芯を立て、足が全体的に緩んだ状態(勘違いされることが多いが、全く力が入っていないという意味ではない)にする。

もう少し踏み込んだ説明もしたいが、かなり武術的な解説になるので気が向いたら工夫を凝らしてまた書こう。



非常に不可解な文になってしまったように思うが、少しでも今稿の「芯」を捉えていただけただろうか。


連載のはずだった論題の2回目をかなり引き伸ばした。

もちろん、忘れていたわけではない。

稀有な読者の「体を意のままに操りたい」との要望に答える今連載は、様々な視点から心と体を捉える試みである。

夏の終わり

夏の終わりの寂しさが

胸の内を激しく打つ

遠くに響く雷のように

飛沫を上げる夕立のように


夏の終わりに背を向けて

僕らは、またここに集う

何から逃げてきたのか問わず

誰を求めてきたかも聞かず


二度は来ない夏の大空に

命を燃やし尽くすと誓い

世界に抗い組伏せられて

僕らはまた、ここに集う


振り向けば影が伸びている

夕陽に囚われ怯えた影が

それでも赤に染まる世界の

優しい嘘を信じたい


陽が沈み、日が暮れる

夏も終わると月が泣く

散った涙の星々が

かの賑わいを静かに語る


夜の静寂に埋もれていないと

胸が張り裂けてしまうから

しまいこんだ言葉を枕に

夏の終わりを一人暮らそう

グルメ番長

ところで私はグルメである。



根本的に無趣味な私が唯一趣味と言えそうなものは、実のところ「食事」なのかもしれない。

おいしいものを食べることは幸せである。

誰かと食べるのはもっと幸せである。

これまでに甘味番長、おやつ番長と数々の称号を欲しいままにしてきたが、その正体は全てを統括する「グルメ番長」である。


私は今、北海道の北見で悠々自適な暮らしを満喫しているが何を隠そう、ここは食の宝庫である。

しばれる気候を恵みに変えて我が五臓六腑を満たしたもう大地と海よ、そして優れた食材を惜しみなく使いながら破格の値段で懐をくすぐる北の料理人たちよ。


果てしない大空の下で、この世界への感謝を通してあらゆるものの繋がりに興じる今日この頃。






ここで忘れられない味5選を紹介したい。


①愛知県名古屋市『キッチンあさま』

夜は焼肉屋だがランチとしてハンバーグ定食を提供しており、通常サイズ850円、ジャンボサイズが1000円という名古屋で数少ない私のお気に入りであったが、信じがたいことに閉店したようである。

特筆すべきはサイズより味である。

失礼だが、ハンバーグに拘っている店であろうと各店に大した味の差はないが、あさまは不恰好な形ながら絶品であった。

もう食べられないと思うと涙を禁じ得ない。



山形県山形市『しば田』

知られていないと思うが、山形県は麺の国である。

特にラーメンは遠方から来客が絶えないような名店も数多い。

しば田は蕎麦屋だが、お薦めなのが冷やしそばだ。

とりの旨味の引き出し方が最高と言ってよく、冷えた出汁がそれをさらに際立たせる。

ランチは750円くらいで大盛り無料であった。

酷暑との相性抜群のそばだが、どの季節でもうまい。


ちなみに山形のソウルフード、冷しラーメンなるものも存在するが、私の食べた限りでは大したことはなかった。



山梨県富士河口湖町『TABiLiON COFFEE&BOOKS』

この店でオミマイされた感動は今も忘れられない。

クロックムッシュ

これ食べたら誰でもマスオになる。

この日を境にクロックムッシュ狂となりパン屋を漁ってはムッシュと名のつくものを手当たり次第に貪ったが到底敵わない。


ここのニクいところはムッシュだけではなく、ミートパイも一級品なところだ。


唯一の欠点はアクセスが悪いことで、交通の便がよければ山梨に寄る度オミマイされにいったであろう。


通好み、玄人嗜好な書籍の数々も私を飽きさせない要素である。



熊本県菊池市『焼肉水源』

追加料金で焼き肉もできるバイキング形式の水源は、ほぼ阿蘇の外輪山に位置しているためか山菜料理が豊富であり、また阿蘇の新鮮な野菜を腰の曲がったご丁寧なおかあさんが無限のレシピでオミマイしてくれる。

さらに馬肉の味噌煮やしし肉料理とたんぱく源も滞りなく、熊本名物だご汁がおかあさんの優しさを物語る。

店の裏には猪がゲージに入っており、何故なのかは諸兄らの想像に任す。

とにかく品数が多く、味付けが丁寧で、値段は焼き肉をしなければ1000円、全く飽きさせない水源はバイキング界の至宝と呼ぶにふさわしい。


ここはムッシュを食べに行くよりハードルが高い。

菊池市から阿蘇へ向かう山中にあるため、やはり車がないと厳しい。


高齢なおかあさんの体調も気がかりである。

娘さんも手伝っておられるようだったが、今も元気で切り盛りしているだろうか。


熊本に住んでいる頃はこの万年食べ盛り小僧の胃袋をよく満たしてくれた。

人にもよく紹介したし、連れていったりもした。


味も人も思い入れ深いお店である。



沖縄県伊江島『???』

店名を忘れ、見た目も忘れ、だが味だけは覚えている。

まさにこの稿の主旨に則った味の記憶。


沖縄の「かき氷」は本州のそれとは全く違っていた。

うろ覚えで申し訳ないのだが、小豆が乗っかっていたがよくある抹茶かき氷のような感じでもなく、練乳とも違う何かがかけられており、近頃の派手なかき氷を先駆けていたような具合か。

よくよく思えば台湾にも近いので何か共通のかき氷文化があるのかもしれない。

そういえば店でなく屋台だった気もする。


とにかく初めてかき氷を「ガッツリ」食べた夏の記憶が今も鮮明に残っている。




以上、厳選するのに苦労したが雑誌企画のようなことを自分でやってみるのは案外面白いものである。

写真があればより雑誌らしくもなっただろうが、未だ一人外食中に写真を撮るのは気が引けてしまうし、もっとも早く飯にありつきたい一心で写真どころではないのも事実である。



今回変わり種を投じてみたのは毎度堅苦しい稿ばかりではつまらないかと思い、あえて似合わぬことをしてみた。

合わないことをするのもいいものだ。


それにしても冒頭で北海道の食を誉めておきながらひとつも入っていないのは、後から気づいたことではあるがこれもご愛嬌というものである。


また折に触れて○○5選をやってみたい。

社会的弱者から考える存在と意識 ~その2~

次は歴史的に福祉を見ていくと述べたが、投稿の時期を同じくして世間はある有名人の社会的弱者に対する差別的発言への批判に夢中である。

毎度のことながら問題の上っ面を撫で回しただけで大衆的な正義を勝ち取った気になる脳内お花畑な勘違い人間の巣窟たる社会の浅ましさに辟易としつつも、だからこそ弱者を取り巻く社会という環境について私が根本を質さねばならないと思った。


ホームレスの存在を否定したことが騒動のきっかけらしいが、正義感を振りかざして差別反対を公言する方々を含め、我々の暮らしそのものが無自覚ながらもホームレスの存在を否定している面があることを自覚せねばならない。


社会は経済水準を高めていくとともにその社会自体に清廉な印象を求めたがる。

例えば再開発と銘打って汚い貧民街がいくつ潰されたことか。

そしてオリンピックのような華やかな「非日常」が、社会の隅で煤汚れの中ひっそりと生きる人々の「日常」をどれほど奪っていったことか。

これは高度経済成長期だけの話ではないのだ。


関東地域在住の方なら東京都台東区あたりの「山谷」という地名を聞いたことがあるのではないだろうか。

私の好きなフォークシンガー岡林信康の代表曲「山谷ブルース」に歌われている通りの、金も資格も学歴もなく、あるいは様々な想いを抱き仕事を探して流れ着いた日雇い労働者たちが大勢暮らした仕事斡旋所かつ簡易宿泊施設群、通称「ドヤ街」がそこにあり、経済成長を実質的に支えてきた陰の立役者でありながら常に国の政策に翻弄されてきた地域である。

初の五輪に沸いた1964年頃には15000人もの労働者を抱え、開催に間に合わせるべく日夜ビルや高速道路の建設、新幹線の開設事業等の現場で血汗を流し、彼らの存在なくして経済発展も五輪の成功(おもしろいことに当時も開催前は戦後20年も経たぬうちに五輪などやっている場合ではないと反対の世論が攻勢であったが、航空自衛隊の戦闘機で大空に五つの輪を作って見せたり、経済効果の旨みもあって世間はいとも容易く手のひらを返した)もあり得なかった。

だが労働者たちの境遇はいつまでも「日雇い」であり、後世に語られるような事業現場をいくつ経ても事業が終われば「お払い箱」にされ、住み処と金銭の確保を繰り返さなければならなかった。

彼らを大いに利用しておきながら、世間が目標とする先進的社会の青写真には彼らやドヤ街の存在は描かれていなかった。

今回の五輪においても、東京駅や浅草などへのアクセスが容易な山谷地域を「観光拠点」とするため、加えて都合よく火災防止などを理由に据えて古い木造建築物を撤去し、新たな地域へと「再開発」された。

まだ3500人ほどは住んでいたにも関わらず、その一部は役所から突如として1ヶ月後の退去を「強制」された。

新たな施設の綺麗な壁に掲げられた施設の概要欄に「山谷」の文字を見出だせず、あるいは施設に踏み潰された幾万人の足跡を彷彿とすることも叶わず、そして我々はまた社会の不都合な歴史として抹消される事実の傍観者になろうとしている。


一度は訪ねてみたかった山谷、私はいつも変わる前の在りし姿に出会えぬ後手の旅を行く宿命のようだ。

コロナで世界へ旅立てなくなったことが示唆するように、変わった後の世界から行く末を洞察することが私の仕事のようだ。





話を戻そう。




我々の日常のなかにホームレスの非日常を読み取らなければならない。

私が10代の頃にはまだ、大きな公園ではブルーシートが特徴であったホームレスの住居が多く見られたが、行政の強制措置が働き今は全くない。

だがホームレスは絶滅したわけではない。

彼らはまたところてんのようにどこかへ押し出されただけなのだ。

しかし世間は徹底排除するかのように、巡視員によるある種の「ホームレス狩り」であったり、駅や公園のベンチの真ん中に手すりのような「障害物」を据えることで寝られないようにしたり、あるいはそもそもだがホームレスという呼称に社会の汚いはみ出しもののような印象を社会全体で長きに渡り作り上げてしまったことなど、綺麗で立派な公園やビルが建つほど、実は文字通り官民一体となってホームレスの「人権侵害」を推し進め、黙認してきたのである。


我々が理想的な燦然たる都市や社会を熱望するほどに、暗澹とした社会の裏側が路地裏で影を濃くする。

貧する者がいなければ富める者は存在し得ない。

これは真理である。

どこかの金持ちが金持ちたらんと欲するために、どこかでホームレスが生まれるのだ。

それが資本主義であり格差社会といえるが、我々が作り出す社会は時の主義主張に関わらず、必然的にそのような偏りをもって民衆を二分する。


こういう根本的な議論を、なぜ世間はできないのか。

人の揚げ足をとることにばかり夢中にならず、ホームレスが生まれない社会を望むことの方がよほど有意義である。


ーーホームレスの生まれない社会、それは富の公平な分配が基本となる。

だが世間の多くがそんな社会を求めていない。

口先では全体的な人権の重要性を当然としながらも、自分の権益が脅かされるようなら人権など二の次である。

蓄積しうる富の味を占めた農耕文明以降、今日に至るまで差別は豊かな社会なるものの必須要件であり続けてきたではないか。

社会という狭苦しい箱の中には、ホームレスは時代を問わずに必ず存在する。

清廉な社会とはホームレスがいないことではなく、彼らを受容しうる社会のことである。

豊かな社会とは皆がお金をたくさん持っていることではなく、公園や駅で寝ているホームレスを社会の外に追いやらず、自立のための方策を官民一体となって支援するゆとりのある社会のことである。


歴史上、最も幸福度が高く豊かだと言われている現代において、なぜ前時代的と言うべきいじめや差別はなくならず、そして弱者を受け入れるゆとりすらないのか。



それは豊かさを誤解しているからだ。


金や力があれば欲望が満たされると勘違いしている文明人はどこまでも貪り続け、際限なき物欲の奴隷として使役されていることにも気付かず心はいよいよ貧しくなっていった。

実際に品性を著しく欠いていたり、厚顔無恥で自意識過剰、他者への思いやりなき者が全時代的な競争社会においては優れた実力者である。

貧しい者のモラルは指摘したがるくせに、経済力のある彼ら実力者の派手な下品さは不問にする。


我々は不都合な事実を覆い被せた上で文明を謳歌し、また不都合が芽を出せば意識をそらし、芽を摘み取り、アスファルトを敷いてなかったことにする。

そのような社会の唾棄すべき腐った品格、及びこの豊かと言われる暮らしを成り立たせている数々の犠牲を直視できなければ、弱者に対する真の人権などありえない。




飛躍するようだが、私はやはり国連という包括的であるはずの組織でこの身を燃やすべきである。

学歴エリートたちに任せ続けた結果がこれだ。


本当の意味で「身を削る覚悟」が私にはある。

31歳を目前にして損をし、損を引き受ける覚悟ができたのだ。

そういう人間が牽引する世の中でない限り、弱者の人権など永遠にありえないのである。

社会的弱者から考える存在と意識 ~その1~

社会的弱者とは我々がその存在を定義付け、意識し始めたときに生まれた者たちなのかもしれないと、歴史を辿るうちに思うことがある。

双方に弱者との刷り込みがなければ分け隔てなく社会と接することができたであろう人々が、福祉全盛の現代にも一定数いる。

明治時代、渋沢栄一がヨーロッパから持ち込んだ「福祉」の概念は、不本意ながら社会的弱者という「枠」を敢えて浮き彫りにし、より身近な地域ではなく国が扱うべき存在にしたことで社会から拒絶、隔離を容易にしたことはその大義名分に隠れて見にくい事実である。

ハンセン病に対する過度な偏見も、それが起因となっていたのかもしれない。



医療を含め近代以降の国家的福祉の実践を否定するつもりはない。

現代においても弱者の自立を助ける活動は、支援者の熱意をもって確かな成果を積み上げている。

だが各地の小さな共同体に綻びを生じさせた大きな運動のひとつであったことは否めず、世間から弾かれてしまった人々が本当に弾かれる必要があったのか、それを検証する機運に乏しいのは都合の悪いことを遠ざける日本の長患いであるけれども、我々民衆までその国家的体質に染まる必要は全くない。


去年、兵庫県の施設で精神病患者に対する職員の集団的ないじめ、虐待の実態が発覚した。

物言えぬ無抵抗の患者をいたぶる「伝統」を後輩も容易に真似した。

なぜ容易に伝統を受け入れたのか、それは仕事のストレスがあったからだという。

ここで「ストレスなんてどの職場にもある」と簡単に言ってしまう人は多少想像力に欠けているかもしれない。

問題を個人の資質にすり替えないことを前提に、ひとつの考察材料を投じてみよう。


「物に当たる」経験をしたことがある人間はそれなりにいると思うが、その対象物は身近なものが選ばれやすい。

手にしてるものがあればそれを投げつけ、なければ手っ取り早く目に入ったものでうさを晴らす。

では今回のように業務内容のほとんどが人間相手の場合、物ではなく人が選ばれがちなのである。

それは物と異なり有機的な反応が帰ってくるためであり、よって動物全般が対象となりうる。

食器を壁に投げつけても割れて後片付けの面倒が生じるだけでつまらないが、生き物はリアクションがあるからおもしろい。

私がおもしろいと思っているわけではなく、外部の目が届きにくい閉鎖的な空間では、普段では抑圧下に置かれた猟奇的で攻撃的、つまり本能的な性がストレスなどを契機に弾けやすく、また癖になりやすい。

要するに、日常で感じ得ない背徳感に興奮しているわけである。

この理論によれば、虐待は浮気や不倫と同質ということになりうる。

ゆえにいじめ完全否定派の中に浮気の経験がある方には、お前にいじめを否定する資格はないと言わざるを得なくなるが、普通の人間はそれなりに浮気をするようだし、また資格や経歴うんぬんで意見すら言えなくなるのはおかしいので言わない。



人はこの世界に対し、自分に都合のよい反応を求めている。

それがまさしく「文明」である。

自分の頑張りには相応の見返りが欲しいし、その一生には意味があると思いたいのだ。

さらに洞察するならば、ある有機的存在に対し反応を求める行為は、深層意識的には自分との繋がりを確認する作業でもあるのではないか。

自分という存在を世界はどう捉えているのか、あるいは自分は本当に存在しているのか、それを知るために反応を探るのである。

好きな子にほどちょっかいをかけたがるのもそういうことであろう。その子の世界にちゃんと自分がいるのか知りたいのだ。

そしてどうだ、無視されるのが一番辛くないだろうか。

反応が帰ってこないということは即ち反応を確かめる行為の否定であり、深刻に捉えれば存在そのものを否定されているとも考えられる。


皮肉なことに虐待やいじめとは繋がり合うための行為で、殴り蔑み罵りながらも「無視しないで」と情けなく懇願しているのだ。

これではどちらが「弱者」なのかわかったものではない。



稿が長くなるため、続きは改める。

次は歴史的に社会的弱者をどう扱ってきたか、ということを考えていきたい。

青森紀行

f:id:shiftgear:20210814193220j:plain

f:id:shiftgear:20210814224714j:plain

私が自分のいいと思える唯一の性質は、年柄もなくいつでも花鳥風月にはしゃぎ回るところである。

人間界ではそうないが、自然界においてはよく鳥肌を伴う感動を覚える、そんな自分だけは愛しく思えるのだ。


一方で嫌いなところは掃いて捨てるほどあるが、ひとまず挙げておくべきはブログがまともに書けないことだろうか。




私は以前何と書いた。




旅の共有どころか相変わらず考察ばかりで、このままでは稀有な読者が離れてしまいかねない。




当ブログ開設以来の危機か。





ところで私は青森県下北半島を巡った。

函館からフェリーに乗り、鮪の有名な大間まで2時間ほどであったか。

f:id:shiftgear:20210812223448j:plain


船旅は実によい。

先程まで立っていたはずの土地がゆっくり遠ざかっていく。

思い出とは置いてゆくものだが、土地との別れを惜しみながらそれをゆっくりと手放すゆとりが船にはある。



山々も離れていく。

北海道は本州以南ほど針葉樹の人工林が多くない。

そのため山が丸みを帯び、色も広葉樹の濃すぎない緑で落ち着く。

北海道の人々がやけに優しいのはそのせいかもしれない。

仏教に言う「身土不二」のように、土地の環境が人間形成の最たる要訣であることは言うまでもない。

そして土地に沿って言葉は生まれ、その自然環境は言葉の性格として反映されていると私は考える。

だがいみじくもその性格は暮らしや環境の変化としばしば共鳴し合い、言語の部分的な喪失や創造を経て変質しうる不確かなものであることは現代人の言語感覚や性格からも窺える。

今は日本全体的に刺々しい針葉樹の人工林に囲まれていると言えるが、それを心まで刺々しくさせている要因と考えるのは飛躍甚だしく思われるだろうか。

また針葉樹は深くまで根を張らず、何より成長が非常に早い。

それが実利のない他者との繋がりを蔑ろにし、長期的な展望を持てず目先の損得で一喜一憂する短気で短絡的な社会を作り出してないかと考えるのは空論だろうか。


そうではない、それらは近からずも遠からずなのだ。


大事なのは正解を出すことではなく、物事の繋がりを肯定かつ前提におき、想像しうる可能性を360度から捉える姿勢である。





大間からバスでむつ市に入り、乗り換えて恐山を目指す。

f:id:shiftgear:20210814193108j:plainf:id:shiftgear:20210814193326j:plain


私が山に行くときは下で晴れていようが天気が悪くなるのであるが、この恐山には晴れる日が来ないのかと思うほど曇天が恐ろしく似合ってしまう。


この静けさを、幾万人がこの世の境目と見紛うたことか。


風車のカラカラと回る音が霊界の呼び声を想起させる。


境内に温泉があるのだが、脱衣場と浴室がほぼ一緒になったような簡素な建屋内の少し黄味がかった湯を垢離のつもりで浸かった。

f:id:shiftgear:20210815085556j:plain
f:id:shiftgear:20210815085031j:plain

地獄を歩いた先には極楽浜が現れる。

宇曽利山湖という。

地獄の臭気を放つ山と極楽を思わせるほど澄みきった湖、この対称的な二対が人為的でないのだから恐れ入る他ない。


観光地化されても祈りの火は消えず、観光客に紛れて菩提を弔う人の想いも時を越えていくことだろう。


その想いを昇華させうる存在たるイタコには会えなかった。

実はイタコと恐山は相関関係上にない。

曹洞宗が管理する恐山菩提寺例大祭にイタコが出張する程度のものだ。


そのイタコも現在6名ほどで、存続が危ぶまれている。

昔は麻疹の流行などで失明する子供が多く、それでも将来食い扶持を得られるようにと、親が子を連れイタコの元で修行をさせた。

新潟の盲目芸者「瞽女」を彷彿とさせる。


儀式における護摩焚きの煙で目を痛めるから失明したと聞いたこともあるが、それにしても社会的弱者を受け入れる余地を社会全体が有していた事実が全国に点在していることに注目したい。

また稿を改めねばならないが、明治以降の渋沢栄一がヨーロッパから持ち込んだ「福祉」の概念は、不本意ながら社会的弱者という「枠」を敢えて浮き彫りにしたという私見を馬耳東風としないでいただきたい。





商売と割りきった風のイタコも多いようだが、それを不思議がるのは現代的な感覚であろう。

それでも盲目という不利が、五感を超越した感覚へと昇華するに資したことは確かで、音や空気などを媒介に触れもせず質感や体温まで感知するような繊細さは中国武術における「聴勁」とも合い通じる。


とはいえ故人の「降霊」を誠に思わせるほどの術である。

その術者が女性であることの意味についても触れておきたい。


農耕文明以降、この国は比売(ヒメ、女)が神の声を聞き、彦(ヒコ、男)が政治を執った。

以後、神道においては男権的傾向が強くなるまで巫女が神託を受ける中心的立場を担ってきた。


なぜ女性なのか。


天岩戸伝説にて隠れた天照大御神を、八百万の神々に託され舞を舞った天鈿女命が見事引き出した神話を巫女の起源としているが、「憑依」能力にこそ巫女の女性である必然性があるのではないかと思う。

神をその身に宿す、とはすなわち懐妊のことである。

7つまでの子どもは「神の子」であり、人間界と切り離して育てる習俗もあったという。


その身に神を宿し、神聖な存在だった女はその後社会の中心的立場を男性に明け渡した。

それは狭い国土で稲作の適地を奪い取るために、あるいは守るために男の腕力を絶対的に必要としたためであり、成果をあげる度に地位も向上していったのではないか。

平安時代における武士の台頭と同じ理屈である。

特に仏教伝来以降は、その求道の対象を男に限定する向きが強く、悟りの境地は男にしか望めないとの偏見から、例えば女性の月のものを「穢れ」とみなし、その不浄の身を理由に神聖な山への立ち入りを禁じたりと男尊女卑はいよいよ盛んになる。



イタコはまさに憑依の巫女である。

単純に女性ならではの繊細さがなければ死に苦しむ人々の気持ちを汲み取ってやることはできなかっただろう。


出会うことのなかったイタコにあれやこれやと想いを巡らし、この死者の集まる地を後にした。

縄文時代とは①

全くもって私の旅は充実しすぎている。

お陰で記録はおろか記憶すら追いつかない。



旅はこれまでにも「楽しい」と思える場面がいくつかあった。

しかしそれは一時的なものであり、旅そのものを包括しうる感情ではない。

「楽」の性質は継続性に欠けるところにある。


翻って「面白い」というのは持続的な感情であり、また過程に「苦楽」を含有しながらも結果的に全過程を面白かったと言えることもある。

もちろん旅の途上で「面白い」と言えるならそれが一番よいのだ。


私は今、旅を面白いと感じ始めている。



さて、能書きばかりで稀有な読者にも飽きられそうなので、そろそろ旅の足跡を残そうか。




私は東北地方を巡っている最中である。

一部は過去の巡り直しもした。


つくづく旅は生ものだと思うのは、「再訪」こそが「面白さ」の尻尾を掴む意義深き行為であることが多いためである。

簡単に言えば点同士が繋がることであるが、例えば長野県星糞峠における黒曜石の発掘実態を見聞きし、後に青森県三内丸山遺跡にて長野県産の黒曜石が見つかったことを知り、当時の遠大なる交易の事実から両者の繋がりを感じることとは違う。

それは多分に表層的で、事実同士を繋げたにすぎない。


現代の学問に足りないのは、そこから先に末広がる根っこの奥底を覗こうとしないところにある。

私はその表層的事実から、縄文人の争いの実態や、祈りという行為の真偽、あるいは信仰の有無、果ては現代の社会問題など、一般的には直線的に結びつかないと思われそうな繋がりを直接洞察する。

仮説から検証へ、複雑な実証過程を挟み込み結論を導くような常識的学問体系は、証明の仕様がないものに対してはあまり意味をなさないことが多いように思う。

それは何かが遺跡から出土し、様々な科学的検証が行われて後「~に使われていたと思われる」との曖昧な結論にひとまず落ち着いたとき、科学的推理の信奉者たる多くの研究者などは現代的感覚から推論しようとする短絡さからも伺えることである。


何が言いたいかわからないだろうから、具体例を挙げると用途不明の出土物や装飾などを短絡的に「祈りの証」と捉えがちなところである。



祈りの本質を考える必要がある。


祈りの文化は農耕と共に発展したと私は思っている。

その意義を全て書ききれないが、

①目に見えぬ超人的な力への崇敬と依存
(自然の流れに逆らい、自らの願望を求めること)

②一集団における共同体意識の強化
(団結力を強めるほどその集団心理が個人を凌駕し、対外的には大なり小なり隔たりや差を敢えて作るもの)


括弧書きしたところは縄文期を考える上で重要であろう要点の一部である。


まず①について、農耕は~……